怪談話をしてと言われたら

セミとおじさん

ぼくはセミの鳴く時期になると、いつもこの話を思い出す。

思い出と呼ぶには、あまりにも怖い、そんな出来事。

それはすごくすごく、暑い日の朝。

背後には誰もいないはずなのに、背中をそぅっと撫でられるような、そんな体験をした、とある夏の日だ。

 

ぼくは浪人中で、まいばすけっとというスーパーで早朝に働いていて、土曜のその日も、寒すぎる店内でレジ打ちをしていた。

平日は忙しそうなサラリーマンが列をなして飲み物や軽食を買っているのだけれど、休日ということもあって、とても穏やかな朝だった。

自動ドアが開くたびに、セミがみーんみーん、と鳴く声が、エアコンの効きすぎた店内とおかしなくらいミスマッチで、ぼくは少しいらだっていた。

「いらっしゃいませー、おはようございます」

部屋着のままのおばちゃんが、お店に入る。

みーんみーん、というセミの鳴く声がきこえて、耳障りだなあと思いながら、

「こちら二点で、178円でーす」

どこか上の空でレジをする。

みーんみーん。

ペットボトル2本を袋に詰めて、

「ありがとーございましたあ」

とぼくは言った。

みーんみーん。

うるさいなあ、もう。

早く閉まらないかな、と思って入り口をみると、扉は閉まったまま、動いていない。

「まじか」

思わずつぶやいてしまう。どう考えてもセミの鳴く声は大きくなっていっていて、このお店に侵入者がいるのは明白だった。

一緒に働いているのはおばちゃんばかりで、わずらわしいセミをどうにかするのは、ぼくの役目に思われた。

今となってはほとんど見かけなくなった旧式の手動レジを、とくに意味もなく開けては閉める。

とりあえずセミの鳴いているであろう方向に目星をつけて、ぼくはゆっくりと歩いた。

ここでもない、ここでもない、とぼくは商品棚の列を一つずつ見ていく。

イヤな予感がしてくる。

みーんみーん!

音は大きくなる一方なのに、肝心のあいつの姿が見えない。

周りの買い物客は気づいていないようだった。

60前のおじさんが、何も気にした様子もなく、アイスを選んでいる。

おもむろにガリガリ君をつかむと、おじさんはそのままレジへと向かう。

セミはいなかった。ぼくは納得がいかなくて、首をかしげた。

暑さというか、室内の寒さに、頭が少しこんがらがってしまったのだろうか。

セミの声をずっときいてるものだから、耳の中でこだましているのかもしれない。

そうである証明かのように、セミの声はふと気づいたときにはきこえなくなっていた。

ぼくはふに落ちないまま、レジへと戻って、会計をする。

「一点で55円でぇーす」

おじさんがお金を渡すために、ぼくに近づいた。

そこで違和感をおぼえる。

彼は左手をわき腹に添えて、ぐっと力をこめている。

その反対の手で、片手だけで四苦八苦しながら財布からお金を取りだそうとしている。

おじさんがぼくの左手への視線に気づいて、ばつの悪そうな、いたずらの見つかった子どものような顔をした。

左手にこめられた力が少し緩んだように見えた。

みんみんみんみんみーん!!

けたたましいほどのセミの鳴き声がきこえて、ぼくはまさかと思う。

おじさんはぼくの方を見ると、穴があったら入りたいときの顔をした。

「セミ、つい捕まえちゃいました……」

とおじさんはか細い声でつぶやく。

ぼくは呆然としながら、

「ありがと-、ございましたぁ」

と、どうにかして言った。

心の中では、

こっわ!!

と叫んでいた。

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