あまり興味のなかった美術館に人から誘われて行きました
以前一緒に働いていた二つ年上の女性、山本さん(仮名)が日本酒好きで、一回二人で軽く飲んだことがあった。
山本さんは知識が豊富で、知性を感じられて、楚々としていてきれいだった。
もっとお話をしてみたいなあと思った。
飲みましょう!とラインでお誘いをしたら、逆に
「美術館にいってお茶しませんか?」
と言われて、驚いた。
学校で連れてかれたとき以来、ぼくは絵を見にいくことはなかったし、自ら行こうと思ったこともなかった。
だから
「一緒に美術館に行きませんか」
という誘い文句があることを、忘れていた。
というか、言われればたしかにありえないことではないとわかるのだけれど、じぶんが誘うときは
「ご飯いきましょー」
しかなかったから、一緒に絵を見るという、その豊かさにとても驚かされたのだった。
いいなあと、思った。
ぼくは絵のことを、何も知らない。
正直、強い興味があるかと言われれば、ないと言わざるをえなかった。ぼくが一人で行くことは今までなかったし、たぶん、これからもないかもしれない。
けれど、美術館に行こうと誘われたのはとてもうれしかったし、すごく行きたいなあと思った。
それはきっと、ぼくが「飲み行こー」と言うくらいのテンションと同じ山本さんの「美術館行こー」という言葉が、強く気になったからだ。
豊かだなあと、思った。ほかの文化を否定する気はまったくないけれど、絵を見るという行為に、奥行きというか、凪いだ海のような、落ち着いた、ゆったりとした、心の豊かさがあるように感じられた。
きっとそこに、静寂があるから。同じ視覚から情報をえて、きこえるのはぼくとあなたの声。
映画や音楽、そして文字からでさえもえられない静けさ。文字だって、ぼくらは心の中で読んでしまっている。だから静寂ではない気がする。
絵は、ずっとみていると、静けさがやってくる。
不思議な気持ちになる。
誰が描いたのかも、何を描いたのもわからないのに。
そこにこめられた意味も、わからないのに。
言葉にできないけれど、いいなあと思う。
東山魁夷の青
奥田元宋の赤
ー色で読み解く日本画ー
青や赤だけではない、それぞれの色をテーマに展示されていて、ぼくは「白」にとても心惹かれた。
きれいで、胸がつまって、吸い込まれそうになる、白。
わざわざ美術館に行かなくても、iPadで見ればいいじゃん、と思っていたけれど、実際に絵を見ることの良さがなんなのか、少しわかった気がした。絵の大きさ、絵の具の肌触り、展示の配置の仕方、周りの人の鑑賞の仕方、その場の空気感など、情報量はとても多い。
お昼前に、ぼくと山本さんは恵比寿の近くにある山種美術館に行った。
山本さんの絵の見方、動き方、展示の導線設計、客層、などなど、ぼくはそういったものを見るのも好きだ。だからもしかしたら、正しい鑑賞の仕方ではなかったかもしれない。
純粋に絵を見て楽しんだのかというと、そうではなくて、すべて含めて、とても楽しかったなあと思う。
そのあと、ぼくらは青山の方へと歩き、途中で見つけたカフェへと入った。
お昼ご飯を食べながらゆっくりと話していると、たまにお互いが無言になることがある。
その静けさは、美術館で味わった余韻のようで、不自然さはなかった。
落ち着いた静かな気持ちになれる。人と人との間に丸みを帯びた、温かな空間があるように感じられて、それもまた一緒に美術館へ行く良さなのかもしれないと思った。