【兄家族観察】母親の定義とはなんなのか

どうも、PairStylesのようすけです。

 

甥っ子姪っ子の顔写真を載せたら可愛すぎて万バズになること間違いなしですが、倫理観が勝つため我慢しています。

でも会う友だちみんなに写真を見せつけているのでした。

今日も今日とて兄家族のおうちにてお世話になっています。

ぼくの周りの世界は本日も平和です。幸せですね。

 

母親ってほんとすごいですね、っていうお話。

母親はサイボーグ?

子育て中って、どうしても人との接点が薄くなりますよね。

もともと気の合った友だちとは、現在のライフステージが違うために疎遠になりがちだし、いわゆるママ友を作るのだってなかなかストレス。

子どもが小さいころは働くこともできず、

「ありがとう」

をもらう機会が少なくなって、今まで感じたことのない負荷がかかるのではないでしょうか。

 

いわばずっと山ごもりをしているような、そんな感覚。

でも山ごもりして精神集中できるのかというと、雑音が多すぎてままならない。

まるで日夜音を轟かせる工事現場の横で、絶対に外には出られない部屋に閉じ込められているような。

と、子育て中の母親というものに対してそういう印象を抱きました。

 

きっと素晴らしい面もたくさんあって、とにかく子どもは可愛いし、笑顔がめちゃめちゃ可愛いし、駄々こねて泣いているのも(少なくともたまにしか見ないぼくにとっては)可愛いので、きっとたまらなく幸せなことではあるのでしょうが、子育てというものには重大な欠陥がある気がしてなりません。

それは社会全体でどうにかしていかないといけないものな気がします。

 

子ども2人抱えて、スーパーで買い物して、地域の会に参加して、役割をこなして、って、本当にすごいことですよね。

でも誰も褒めてくれないです。

 

なんだかその様子を間近で見て、当たり前にこなす姿をみて、すごいなぁと思いました。

お母さんって偉いなぁ。

 

母親って、なんなんでしょうか。

ぼくが子どもたちをみて思ったのは、”ただいま”です。

まだ「ただいま」だなんて言わないけれど。

帰ってくる場所がある。

帰ってきたい人がいる。

それがきっと、ぼくらが大人になるまでに何回も使った言葉、

「ただいま」

に込められているんだと思います。

 

家の中でも外でも、ぼくではダメで、母の姿を探して泣いている赤ちゃんをみて、そう思いました。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です