夜のドライブの物語

  
二人でしっぽり飲む、というのもとてもすてきなのだけれど、二人で夜のドライブに行く、というのがもっともっと、すてきだとぼくは思う。
 
ぼくは車を持っていない。
スマホ一つで、どこでも簡単に車を借りられる、カーシェア。
その恩恵を一番に受けているのは、ぼくかもしれない。
 
行き先はいつも特に決めず、夜の東京で、車をあてどなく走らせる。
夜といっても、街は人工的な光で明るく照らされていて、車通りも少ないわけではない。
東京から離れて、少し郊外の方に行くと、とたんに周りは静かになった。
窓をあけると、冷たい風が入ってきて、澄んだ空気が、髪をぶわぁっと散らす。
 
運転をするのは好きだった。
ただ、載っている人数が増えると、どうしても雑になってしまう。
だから二人だけのドライブは、もっともっと好きだ。
 
アクセルをゆっくり踏みながら、隣に座る人が、居心地よくいられているだろうかと考える。
信号が赤になって、横を向くと、彼女と目があって、ぼくは不思議な気持ちになる。
 
なぜだろうか。
車の中での無言って、ぜんぜん苦にならない。
むしろ居心地が良くって、お互い目も合わせずに、アクセルを踏むたびに変わる景色を、ただぼんやりと見ている。
 
お酒って、上昇していく楽しさがある。一緒にどんどんマヒしていって、笑い声が大きくなっていくような、そんな幸せ。
ドライブは、下降していく楽しさ。どんどんうるさくなくなって、静けさがやってくる。
落ち着いていて、優しくて、どうしようもなく、慈しみにあふれている。

 
 
ある夏の夜、城ヶ島公園に二人でドライブしたことがあった。往復で5時間ぐらいかけながら、ぼくらはたくさんの話をした。
車の中って不思議で、沈黙が苦にならないのと同じくらい、たくさんのことを話したくてたまらなくなる。
 
公園といっても、とてもとても広い場所で、神奈川の南の方にある島。
深夜三時、真っ暗闇の中、携帯電話の明かりだけを頼りに、階段をおりる。
そこには、たくさんのおっきな岩と、すごく小さな砂浜があった。周りには何もなくて、とてもこじんまりとした場所。
靴を脱いで、膝まで海に浸かって、勢いよく寄せては返す波を、ぼくらは見ていた。
サンダルをなくした、と彼女は言った。
海にさらわれたのだと、そう言った。
ぼくらは焦って、互いにびしゃびしゃになりながら探して、サンダルを見つける。
濡れねずみになった互いを見合って、ぼくらは声を出して笑った。
 
そんなことを、思い出す。信号が黄色から赤に変わって、車がとまる。
渋谷のスクランブル交差点でとまりながら、行き交う人々を見た。
 
どこかに行きたいのだと思う。
ここではないどこか。
ぜんぶぜんぶ、逃げだしてしまって、何もかも投げだして。
 
今この瞬間が、あともう少しだけ、続いてくれればいいなあと思いながら、ぼくはゆっくりと、アクセルを踏んだ。

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