夏と冬、2年ごとに開催されるオリンピックよりも高頻度で、ぼくは熱を出すか、点滴を打つ。
姉から先日、ようすけは定期的に熱を出すものね、と言われてはっとさせられた。
はっとさせられた、というか、ふっと気づいたというか。
自称ナッツさえなければ(アレルギーなので)最強の男であるところのぼくだけれど、小さい頃から都会でぬくぬくと、美味しいものを食べて、着心地の良い服を着て、冬は暖房をガンガンに焚いて文字通りぬくぬくと育てられてきた。
そんな温室育ちのぼくは、小学生の頃にはタンスに隠していたまんじゅうを食べて食中毒で病院に運ばれ、中学生のころは予防接種をしてたにも関わらず受験前日に高熱を出して、高校生の頃はノロウィルスでぶっ倒れて最寄りの大学の保健室で目を覚ました。
大学生になってからも、1,2年ごとくらいのペースで発熱するものだから、とっくに自分が病弱だということに気づいてもよさそうなものだったけれど、世の医療の進歩のおかげか、病院にいって抗生物質をもらうか、または点滴を打てば、1日2日でたちまち治った。
だから、つい忘れてしまうのだ。
今のご時世になって、ぼくのこの病弱キャラは随分と不便なものになってしまっている。
体調が悪くなるたびにいそいそ病院に通い、薬をもらっているぼくを見て、姉は
「あんたも好きねえ」
とまるでこちらが好き好んで行っているかのような物言いをしてくることが唯一解せなかったのだけれど、そんな風に気軽に(決して気楽に行っているつもりはない)病院に行くのが難しくなった今、やはり思うところがないわけではない。
しかもぼくの身体は自分が思っている以上に気軽に発熱してくるものだから、このご時世ではかなり厄介だ。
37.5度を超えようものなら、何を言われるかわからないし、然るべき人には然るべき報告をしなければいけない。
ぼくはこのご時世になってから、PCR検査を2回、抗原検査を2回行ったけれど、結果は毎度陰性だった。
もちろんだからといって罹ってない証明にはならないのだろうけれど、このぼくの今までの体質も鑑みると、やはりいつものごとく、病弱キャラが発動しただけなのだろうと思っている。
体調を崩すのは決まって負荷の多い日の前後で、受験前だったり、慣れない仕事を1日中やっていたときだったり、ここ数日前では一年振りに行ったジムの、筋トレと、ランニングと、水風呂と風呂の往復だったりする。
ただ、ここにもまた、解せないポイントがいくつかあった。
ぼくはおそらく、同年代の男性の中でも、特に健康に気を遣っている。
食事の栄養バランスを考え、睡眠をしっかりとり、水は欠かさず2リットル以上毎日飲んでいる。
日々運動不足にならないよう、毎日一時間弱の散歩を心がけているし、心を害さないように悪口も言わない。
だというのに、ぼくは病弱なのだ。
いや、病弱だからこそこれほどまでに健康に関心を持っているのかもしれない。
この病弱キャラを忘れていたばっかりに、身体に無理な負担を強いて、40度近い高熱を出してしまったのだろう。
なんなら、健康的な食事と生活のおかげで、病弱キャラは消え去ったと、そう思いこんでいたのかもしれなかった。
昔の性質なんて、そう簡単になくなりはしない。
躍起になって排除しようとするよりも、その性質とうまく付き合いつつ、折り合いをつけて、ともに生きていく他ないのだろう。
自分が病弱キャラなの思い出した。
ただそれだけの話だ。
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