ぼくには幼馴染がいました

こんにちは、IKEAで観葉植物のパキラを買ったのですが、友人の家に置いてきてしまいました、ようすけです。

 

小学3か4年生くらいのときに別れてしまったのですが、ぼくには幼なじみの女の子がいました。

 

幼なじみの定義は難しい。

思うに、幼少期を共に過ごした、家の近い友だちのことをそう呼ぶのではないでしょうか。

 

漫画やアニメでよく出てくる幼なじみというものに、漠然とした憧れを抱いていましたが、高校三年生、とあるきっかけでぼくにもその”幼なじみ”がいることを思い出したのでした。

 

それはFaceBook

高校三年生のとき、ぼくはニュージーランドに留学をしていたこともあって、普段は使わないフェイスブックをよく更新し、写真も載せていました。

そんなニュージーランドでのある日、友だち申請が来たのは見覚えのないようなあるような名前。

中学の友だちばかりと繋がっていたため、一瞬混乱しましたが、ぼくはその名前の女の子をすぐに思い出しました。

 

そうだ、あの子。

 

うろ覚えだけれどたしか、小学2年生のときに同じマンションに越してきて、小学4年生のころにまた転校してしまった子。

家の場所が一緒ということもあって、ぼくらはよく一緒に家へ帰り、一緒にその女の子の家で遊びました。

読書家で、頭が良くて、背が高くて、好きなものが一緒。

1年か2年の短い間だったけれど、たしかにぼくらは”幼なじみ”で、友だちでした。

 

フェイスブックを通じて繋がったことも、彼女と10年も会わずにいたことも、今まで忘れていたことすら、優しくて不思議なおかしさを感じました。

 

そうして”繋がった”ぼくらがすぐに会うことになったのかと言えば、そうではありませんでした。

彼女との距離は遠く離れていたからです。

 

特にオンライン上でやりとりを続けるわけでもなく、5年の歳月が流れました。

1月3日、ちょうど東京に来ているとの連絡があり、ぼくらはおおよそ15年ぶりに会うことになったのです。

15年ぶり。

20何年しか生きていない当時のぼくにとって、15年というのはどれくらい長いものなのか想像もつきません。

今まで、こんなに久しぶりに会った人はいませんでした。

 

しかもぼくにとっては、自身が今覚えている限りでは最初のきちんとした友だちであり、仲の良かった子なのですから。

何も感じないといえば大嘘になります。

ほどよく緊張しながら、ぼくらはお昼に会いました。

1月3日だったので、初詣に行こうということになり、神社をまわったあと、地元の道をゆっくりと歩きました。

 

ぼくの家の周りには駅が三つほどあって、小学校を卒業してからはとんと行かなくなった一つの駅の近くに、通った小学校や公園がありました。

だからぼくにとっても小学校までの道や商店街、遊んだ狭い小道などは懐かしくて、新鮮で、小学生だったころのじぶんの歩調に合わせるみたいにゆっくりと歩きながら、昔話に花を咲かせたのです。

 

彼女のことをよく泣かせていたなぁ、と一人思い出します。

背の高かったあの子を、数人の男子でからかって、ちょっかいを出していました。

最初は怒って追いかけてきたのだけれど、次第につらくなって、あの子は泣いてしまって、全員で先生に怒られて、一人一人謝っていって「いいよ」って彼女に許されたのに、ぼくだけしばらくずっと許されなかったこと。

 

二人とも大好きだったかいけつゾロリの一対一のカードゲームで、ぼくが必勝法を見つけてカンニングペーパーを作って勝ちまくっていたら泣いてしまって、焦ってどうすればいいかわからなくてとりあえずカンニングペーパーびりびりに破いたこと。

 

ぼくはしょうもないことばかりしていたし、信じてくれていた彼女を損ねるようなことをたくさんしていたと思うけれど、今となって覚えているのはその二つだけで、なんだか申し訳ないような、懐かしいような気がします。

 

きっと彼女も持っている、ぼくとの記憶はどんなものだろうか。

おそらく昔の話をたくさんするのだろうと思って会ったのだけれど、思いのほか小学生の頃の話はしませんでした。

きっとぼくらは曖昧で、じぶんの中の記憶が変わってしまうのを恐れたのかもしれないけれど、それ以上に、今の話が楽しかったんです。

 

ここ数年、何をしていたのか。

今何をしているのか。

これから何をしたいのか。

どこにいるのかという問いに、京都ときいて驚いたのを覚えています。

 

昔昔に途切れたと思っていた糸が繋がって、再び会うことができた。

その”不思議”に不自然さはなくて、会話は想像していた以上に楽しくて、楽で、落ち着きました。

 

最後に、ぼくらのマンションの屋上、二人でよく遊んだブランコに乗って、会話を続けます。

 

この世には気の合う人もいれば気の合わない人もいて、小学2年生のころのぼくらは合っていたからこそ、今この年で会うことに不安もありました。

だって、生まれてから初めて会ったときの歳月よりも、別れて再び会うときの歳月の方が遥かに長いんですから。

それはもう、別人といってもおおげさではないのかもしれません。

 

 

 

ぼくには幼なじみがいました。

もう会うことはないのかもしれないと思っていたし、あの時ぴったりと合っていたような、そんな心地よさはないのかもしれないと思っていました。

 

でもきっと、あの時の繋がりにはちゃんと意味があって、だからこそ今も、これだけ長い時を経て会っても、居心地の良さを感じられるんだろうなぁと、そう思いました。

 

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