人生をペアでもっと楽しく。 PairStylesのようすけです。
今回は多くの友人や上司と主張が合わず、お互いに長文ラインを送りあったり、対面での1時間以上の話し合いを何度もしたりしてきたぼくが、人間関係においてどうやって着地点を見出してきたのか、関係を楽にする方法をご紹介していきたいと思います。
人間関係って、基本的にめんどくさい。
そこに正解はないし、じぶんが正しいと思って行動したことでも、ほかの人たちにとっては正しくないことが、よくある。
責められることもある。
あらゆる行動や投げかけた台詞が、価値観という言葉に集約されていって、最終的にその人を嫌いになることがある。
あの人とは価値観が合わない。
そんな人だとは思わなかった。
ありえない。
無理。
価値観うんぬんではなく、人間としてありえない、クズだと罵る人がいるけれど、結局そのクズも、価値観なのかもしれないと思うことがある。
たとえば、約束を守らないのは、価値観の問題ではない、と言えるだろうか。
約束を守るのは常識だ、というのも、だれかの価値観でしかない。
昼の12時に、渋谷のハチ公前で。という約束をした場合、ある人にとっては10分前行動が当たり前だから11時50分に着いてないとき、約束は守られていないと感じるかもしれない。
ある人は12時50分に来ても、約束を守ったと感じるかもしれない。
ある人はその日にハチ公に行けばいいと思っていて、ある人はその日、夕方17時に連絡をとれば、約束は守られていると思うかもしれない。
ぼくらは家族ですら完璧に一致することはない、価値観という名の歪なピースを、必死に互いの形を合わせようとしながら、四苦八苦して生きている。
ピースが違いすぎると、会話をするのすらままならなくて、つらくて、やめたくなってしまう。
ピースが似ていれば似ているほど、同じものは一つとしてないのに、無理やり同じ形にはめ込もうとして、どちらかが壊れてしまう。
人間関係がつらいのって、当たり前とか、ありえない、とか、そういう言葉をじぶんが手に持ってしまっているからなのだと思う。
人間関係つらい人が、つらくなくなるためにできることは、人に無関心になることしかない。
ネコとずっと一緒に生きていれば、しんどくなることはない。
ただ、それは無理なのだと思う。
人間関係がつらくなくなることはないのだと、ぼくは思う。
だからといって、つらいままでいいのかと言われれば、それは嫌だ。
人間関係に悩むじぶんの気持ちをちょっと楽にするコツは、言葉化と心化。
まず、じぶんの心を書き出してみる。なんで苦しいのか、とか、その人のどこが嫌なのか、何が嫌だったのか、と。
怒りにまかせてわーっとしゃべるのは簡単だけれど、一度文章にして目に見える言葉化をすると、何度も読み返すことができる。
何度も読み返す。これがとても重要になってくると、ぼくは思っている。
10回以上、何度も何度も、読み返すのと同時に、一回寝てから読み返す、とか、24時間経ってから読み返す、とか、時間をおくのも大切だ。
時間をおくことによって、心と言葉が切り離されて、少しは客観的に見られるようになるから。
ぼくは意地っ張りだから、じぶんの主張を曲げないことが多くて、その流れで相手の対応に怒りがわいて、わーっと文章で書いて送りつけようと思うことがよくあったのだけれど、言葉化をすることによって、それを読み返すことで、一度熱がさめるのを何度も体感した。
言葉化のとき、同時に相手の言葉を心化しているのだと思う。
相手も怒っていたり、主張を通したいと思っていたりして、言葉を投げてくる。
その言葉が、誤解なく、何のズレもなく他人に届くことってないはずで、心の中で思っていること、言葉にならない気持ちとかが、必ず存在するとぼくは思っている。
だから、相手に「死ね」と言われたからといって、あ、この人はぼくに死んでほしいんだ、と思う必要はなくて、どういう心なのかを、その言葉を変換してあげなければならない。
じぶんの言葉化って、ただ気持ちや考えを文字に起こすことではなくて、あなたはそう思っているのかもしれないけれど、ぼくはこう思うよ、だからぼくが正しい、っていう、論破をしようとする、じぶんの主張を通そうとする気持ちが強くでるものなのだと思う。
だから、自身の心を言葉化する中で、相手はどういった心でその言葉を発したのかを考えざるをえなくなって、言葉化と心化が、うまい具合にできる。
その言葉化と心化を、可能であれば相手に伝える。
ぼくはそうしてきて、ともに言葉化と心化をして、より理解が深まって、相手のことが好きになったことが、何度もある。
嫌味っぽい店長も、失望してる幹事も、泣いている友だちも。
もっともっと、好きになる。
相手の心を想像してみる。
じぶんの心を言葉化して、主観から客観に近づけようとしてみる。
そうすると、あの人が無理すぎてつらい、とか、思わなくなるのではないかなあと思う。
ただ、もっともっと考えなければいけないことが増えて、つらくはないけれど、めんどくさいなあと思うようになるかもしれない。
けれど、もし嫌いな人がいて、そんなじぶんが嫌だなあと思っているのなら、つらいなあと思っているのなら、ぜひ試してほしい。