どうも、PairStylesのようすけです。
兄家族の家に居候をして4日が経ちました。
甥っ子も姪っ子も可愛すぎてもう息ができません、本日も幸せです。
ぼくは大学で英語教育を学んでいたくらいに教育に関心があります。
人を教え、育むことの奥深さと難しさ、とうてい極めることのできない”教育”というものについて考えるのが大好きです。
人に何かを教えるのは得意な方だと思っていたぼくですが、その自信はバキバキに折れました。
面白くないことはそりゃあやらない
兄家族のおうちに子ども向けの英語教材があったため、それを使って甥っ子の先生をやってみました。
最初は大人しくきいてくれるのですが、次第に集中は途切れてきて、教材のギミック(音のでるマシンだった)に夢中になって、あっちゃこっちゃ。
そりゃそうですよね、面白くないことはぼくだってやらない。
おっきくなった人間の嫌なところは”面白くない”と思ってもある程度興味のあるフリをできるところだけれど、素直な子どもたちは素直につまんなそうにする。
そして違うことを始める。
そういえばぼくが幼児の英語教育について学んだことも、身体全体を使った、”やりたい”と思ってもらえるようなやり方、ストーリーテリングの手法だったなぁ。
ただ、ストーリーと連動する身ぶり手ぶりの動きを、ストーリー含め自分が覚えておかないといけなくて、ぼくには引き出しがなかったからやることはできませんでした。
修行が足りないなぁ、と独りごちります。
ていうか、親が親としての生活をしながら、子どもに学ばせることまでやるのは無理なのではないだろうか。
ご飯を食べてもらうのすら時に難しくて、普段はスムーズにやってくれることも機嫌が悪いとやってくれないことがある、そんな難易度高すぎる”子ども”という存在。
やっぱすごい、親ってすごい。
ただ、女手一つで三人の子どもを育ててくれた母が、ぼくらに積極的に”あいうえお”や”英語”を教えてくれたとは思えません。
というか、物理的にたぶん不可能。
それなのに”あいうえお”も”英語”も完璧なぼくら兄弟3人に育ったのだから、世の中の親は自分の小さな子どもが全然学んでくれなかったとしても、そう悲観する必要はないのかもしれないですね。
いや、よく考えたら英語すごい勉強してた気がしてきました。
母にきいてみようと思います。
とりあえず、ぼくは本日、教育の難しさを肌で感じました。
終わり。
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