宗教と儲け話はなぜ”気持ち悪い”のか

こんにちは、PairStylesのようすけです。

 

ぼくは宗教や儲け話の勧誘をされることがめちゃめちゃあります。

人徳ですね。

 

ツイッターをやっていると、何度も何度も、

「ブログやられているんですか? 稼ぎたいと思いませんか?」

というDMがきたり、

「ツイッター運用は稼げる!」

みたいなツイートを見かけます。

 

DMを送ってくれた人の自己紹介欄をみると、

「ブログで稼ぎたい人必見☆」

とか

「フリーランスで生きていく!」

や、

「ツイッター運用で月100万稼いでます」

みたいな人が多いです。

 

渋谷を歩けば「今幸せですか?」とおばちゃんに声をかけられ立ち話をした後怪しい場所に連れて行かれそうになり、

友だちの最寄り駅でベンチに座って待っていたらこれまたおばちゃんに20分ほど世界がどうやって作られたかの動画をみせられありがたい冊子をもらったり。

 

また、ぼくはよくマルチ商法”ビジネス☆”について知人友人からお話をいただくことが多いです。

中学の友だち、高校の友だち、大学の友だち、居酒屋で知り合った人、合コンで知り合った人、SNSで知り合った人など、ありがたいことに今までたくさんの人から儲け話の打診がありました。

持つべきものは友ですね。

 

人の生き方なんて自由だし、別に構わないのですが、DMや誘いがくるたびに、なんかモヤモヤするなぁと思ってました。

今回はそんなモヤモヤの正体を突き止めた(というか言語化していく)ので、一度でも

友人知人、知らん人からの

“宗教”や”儲け話”

などに違和感を覚えたことがある人がいましたら、お読みいただけると幸いです。

(語弊があるといけないので先に述べますが、ここで言う”気持ち悪い”は、宗教勧誘や儲け話・ビジネスの勧誘における得体の知れない気味の悪さであって、宗教や儲け話そのものを否定しているわけではありません)

 

宗教と儲け話の類似点

そもそもぼくは宗教儲け話を毛嫌いしているわけではないですし、二つを並べて

「どっちも詐欺だ」

と言いたいわけでもありません。

 

ただ、この二つはある点で共通していると思っています。

それは、相手が能動的にやってくる、という点です。

 

家のインターホン越し、街中での宗教勧誘や、レストラン、カフェでの儲け話の誘い、どちらも共通しているのが

「なんか知らんけど、めっちゃ喋ってくる」

というところです。

 

これが、気持ち悪いと本能的に感じてしまうポイントだとぼくは思っています。

 

こういう方たちって、大変お優しいため、頼んでもいないのに勝手にたくさん喋ってくれるんです。

「今幸せですか?」

「稼ぎたくないですか?」

「自由っていいですよね?」

「やっぱりお金がないと何もできないよね?」

みたいな感じで。

 

百歩譲って仲のいい友だち同士で、

「今お前、幸せ?」

みたいな会話があったとしても、そんな話題、開口一番に絶対しないと思うんです。

幸せかどうか、

とか、

稼ぎたいかどうか、

って、会って間もない知人レベルの人と話すことじゃないですよね。

 

一万歩譲り譲りで、話したとして、こっちから振った話題でもないのに「幸せ」「お金」について自分語りをした挙句、その考えをぐぃっと押し付けてこようとするのは何なんでしょうか。

 

「え、気持ち悪っ」

って思ってしまうのは、致し方ないとぼくは思ってしまいます。

 

ただ、この押し付け方や勧誘の仕方は、宗教と儲け話で全然違います。

また、宗教や儲け話の”気持ち悪さ”は上記にとどまらないので、順番にお話をしていきたいと思います。

 

宗教はわかりやすく、儲け話はわかりにくい

宗教の勧誘って(もちろん一概には言えませんが…)、わかりやすいんです。

 

「宗教ですよ、私たちこれ信じてますよ!」

 

っていうのを大手を振って教えてくれるので、

「あ、宗教だ。そういうの苦手だからやめとこ」

って避けやすいのではないでしょうか?

 

ただ、宗教勧誘してくる人って、ぼくの今までの経験上、距離が近くて怖いんですよね。

「あなたのために」

「一緒に幸せになろう」

と心から思って、本気で言ってくる上に、会話をするごとに物理的に距離を詰めてきて、とりあえず来て! と強引に誘ってきます。

 

そして極端。

 

お昼過ぎに大戸屋から出てきたぼく。

待ち構えるおばちゃんと、若いお兄ちゃん。

おばちゃん「今幸せですか?」

ぼく「はい、幸せですね〜」

おばちゃん「ほんとにほんとに? 100%めちゃめちゃ幸せだって言い切れる?」

ぼく「はい、幸せすぎて困ってます(にこやかスマァイル)」

 

これって極端ですよね?笑

逆にじゃあめちゃめちゃ不幸せそうな人に、

「あなた不幸せですか? 100%不幸せだって断言できる? ほんとにほんと?」

って言ったら、何人かは

「そういえば今朝は鳥のフンが落ちてこなかった。もしかしたらそこまでじゃないかもしれない……」

ってなりませんか??

 

あと、この問答って、宗教勧誘の目的を明白にしますよね。

「幸せじゃない人を救済する」

のが目的ではないんです。

だって、ぼくが断言した”幸せ”に対して、食い下がったので。

「あー、1人でも多くの不幸せな人を幸せにするために、今日も街中でたくさん声かけちゃうぞー」

じゃないんです。

「私たちのコミュニティに入る人を幸せと呼ぶ活動」

を行なっているのであって、その目的はより多くの味方、仲間をつくることです。

 

掲げる目的「幸せになろう」

と、手段が違っていて

本当の目的「人を増やして勢力を拡大しよう」

を隠しているために、めちゃめちゃ気持ち悪いと思ってしまうんだと思いました。

 

 

儲け話はひた隠す

儲け話って、

「こんなにうまい話があるんだよ!」

って絶対言いません。

どう考えても怪しいので。

 

そして、本人たちがその儲け話を一番信じていないから、後ろめたさのためにすぐに話せないのだとぼくは思っています。

 

この時点で、ぼくとしてはかなりの”気持ち悪さ”を覚えます。

彼らは誘ってくるとき、絶対に

「いい儲け話が入ったんだよ! よかったら話だけでもきいてくれない?」

とは言わず、

「久しぶりに会ってご飯でも食べよ〜」

みたいな文言でくるんです。

 

ここにすでにズレがありますよね。

 

求めてもいない”儲け話”をきくために、なんでこちらが出向かなきゃいけないのかがわかりません。

 

また、そもそも”儲け話”っていうのが構造的に欠陥があります。

唯一無二の、一番信頼している親友からそんな儲け話をされるのであれば十歩譲って可能性はありますが、友だちや知人レベルの人が話す儲け話なんて、そもそも意味わからなくないですか?

 

儲かるのなら、自分だけでやった方がいい。

みんなに幸せになってほしいなら、儲けたお金で寄付するか、そのお金をくれ。

例えばその人にスキルがなくて、ぼくだけが持っている何かをアテにしてきたのなら成り立ちますが、要求されるのは基本的にお金か、誰でもできる労働力だけです。

 

もし目的が「あなたにも儲かってほしい」なのだとしたら、

ぼくじゃなきゃいけない理由を用意できない時点で、「あなた」に声をかけた理由がなくなるため、成立しなくなるんです。

 

つまり、「あなたも儲かるよ」

という理由をつけているにも関わらず、

儲け話を持ってきた人の目的は

「あなたが儲かること」

ではないということです。

 

ここが気持ち悪いポイントですよね。

  

あとは、何よりも目的が気持ち悪いです。

何度も気持ち悪いって言ってごめんなさい。

 

こういう儲け話をする人って、目的が

「お金を稼ぐこと」

であることがほとんどです。ソースはありません、体感です。

 

お金を稼いだ先に何をしたいのか、どんな夢があるのかが明確でないことが多い気がします。

  

儲け話には(矛盾しているようですが)お金を払う場合がほとんどなので、お金を払って儲け話を買うという点で、儲け話を商品としましょう。

商品を買うとき、必ずそこには目的があります。

商品を買うことは手段であり、その商品を手に入れて何がしたいかが明確になっているからこそ、お金を支払うのではないでしょうか。

釣竿を買った場合は、目的は魚を釣ること。

もっと言えば、魚を釣るという楽しい体験が目的となったり、釣った魚を食べてお腹を満たすことが目的になったりします。

 

目的はCMによく表れているように思います。

例えば車のCMは、昔は性能やデザインのかっこよさに焦点を当てているものが多かったですが、最近では”家族との時間”がもっと楽しくなる、というコンセプトをもとに作られているのが多いです。見た感じ。

 

昔は乗り物としての車に需要がありました。でも今は、他に便利な交通手段が多くあります。

だから、付加価値が必要になってくる。

車がただの乗り物ではなく、家族の時間を大事にする物になるからこそ価値が生まれるんです。

 

儲け話の場合、儲け話という商品を買ったにも関わらず、手に入るのはお金だけです。

そこに想起される体験や価値が、何もないんです。

人がお金を払うのは、そこに付加価値があるからです。

原価で考えたら、レストランの料理だって、ホテルの空間だって、洋服だって、スマホだって、支払ってるお金の30%にも満たないものばかり。

でも、それ以上の価値があると思うからこそ、人はお金を払います。

 

儲け話の一番の気持ち悪さは、そこに手段ばかりが先行して、目的がないところだとぼくは思います。

 

マルチ商法をやっているぼくの友人が

「だって成功したら夢あるじゃんね」

って言っていましたが、これがズレだと思いました。

 

儲け話は、一番夢がないんです。

目的がないから、リアリスティックに、合理的に、徹底的に冷徹に突き詰めて、お金を稼ぐことを考えつづけなければいけない。

もちろん、ストイックにやり続ければ結果を出していわゆる”成功”を手に入れる人もいるでしょう。

億万長者もじゃないかもしれません。

 

でも、本来お金を稼ぐことは目的にならないんです。

そして目的と手段は表裏一体で、深く関係してきます。

 

お金を稼ぐことを目的にすると、手段が消えます。

その時点で、また一つズレが生まれるんです。

目的がお金稼ぎになった途端、その儲け話を手段にする必要がなくなるからです。

 

大義なき名分など、きくに耐えません。

 

結論:気持ち悪いです

もう少しみんな真の目的を明らかにしてからアプローチしてほしいものですね。

 

最初から言ってくれればもう少し面白がって話をきけるのに……。

人のため・お前のためって、個人的にはめちゃめちゃ乱暴な言葉だなぁと思います。

 

人のためって言うなら(極端なことを言って申し訳ありませんが)、おれの言うことをきけ、それか黙って金くれ。

それができないなら、それは人のためではなく、じぶんのためじゃないかなぁと思っちゃいます。

 

幸せになりますよ

お金稼げますよ

 

って言ってくる人が周りにいたら、まずは「この人は誰のために何がしたいんだろう?」

を考えると、その行動の意味が理解できてすっきりするかもしれませんね。

 

以上、宗教と儲け話はなぜ”気持ち悪い”のか

でした!!

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