こんばんは、ビール大好きようすけです。
遊びに行くとおじいちゃんが出してくれる糖質ゼロの発泡酒は苦手でしたが、ホッピーだと思って飲むようにしたら意外とありな味に思えてきました。
去年、何かの番組で、小学生の孫が自由研究でお酒を飲みすぎるおじいちゃんのために作ったイスというのが紹介されていたのですが、なんて残酷なものを作るのだと驚愕したのを覚えています。
おじいちゃんがそのイスに座ると、孫の声で
「おじいちゃん、お酒は飲んじゃだめだよ」
とか、座った時の揺れを感知して、
「おじいちゃん、もうフラフラだ、お酒はやめにしよう」
と音声が流れる。
孫としてはおじいちゃんに長生きしてもらうために、健康のことを考えてこういった装置を作ったのでしょうが、これ、たまったもんじゃないですよね。
おじいちゃんからしたら、もはや唯一の楽しみというか、何十年と染みついた習慣とかなのに、そんなの簡単にやめられませんよね。
なんならしんどい思いして酒をやめなきゃいけないくらいなら寿命縮めてでもいっぱい飲むわ、って感じでしょう。
誰がいくら口を酸っぱくして
「お酒はほどほどにしなよおじいちゃんー」
って言ったところで、変わるわけはないのだとぼくは思っています。
そんなぼくのおじいちゃんも毎日欠かさずお酒を飲む人です。
ぼくは毎週おじいちゃんと2時間くらいお酒を飲んで会話を楽しんでいるのですが、言っても無駄だし、楽しみを奪うのも申し訳ないと思って「お酒はほどほどに」と言わないようにしていました。
でもやっぱり、お酒の缶のゴミの量を見たり、以前より足元がおぼつかなくなったりしているのを見るようになって、すごい心配になってきて、ついつい「お酒飲みすぎてない?」とか言いたくなってきたんです。
「もうお酒は飲まないようにした方がいいんじゃない?」
とか
「せめて夕方からにしなよ」
って言いたいし、飲み過ぎは身体に毒でしかないから本当に気をつけてほしいです。
孫としておじいちゃんにしてやれることって何かなぁ、って考えるんですけど、結局ぼくができることってほとんど何もないんですよね。
つーか、じぶん以外の他の人にぼくができることって、本当に少ない。
誰かを変えられるとか、誰かのためを思ってとか、そういうのって傲慢だと思うんです。
もしかしたらぼくが必死に説得して、おじいちゃんの飲酒量を減らせたら、寿命が1年、いやもっと延びるかもしれない。
でもそれって、エゴでしかない気がしていて。
じぶん自身が気持ち良くなろうとしているだけなんじゃないかと思えてしまって。
だから結局、正解は見つからないんですけれど。
ぼくが孫としておじいちゃんにできること。
それは一緒にお酒を飲むこと
だと思うんです。
明日もおじいちゃんの寿命を縮めているという罪悪感を少しだけ感じながら、一緒にお酒を飲んで、笑って会話をしようと思います。
でもおじいちゃん。
本当にお酒はほどほどに……。
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