ごみ拾いと命拾い

「死んだ人間にはぁ、かなわないさ」

 ひとりごとのつもりだった。今までの人生も全部、自分以外関係なくて、ひとりごとのつもりで生きてきた。

「かなわない? 死んでる人と何を勝負しようっていうの」

 ぼくの耳はすごくいい。だから今の女の子の声は気のせいではないだろう。

 ききなれたはずの五時の鐘の音は、外できくと不思議と、ずっと高く力強くきこえる。

 まぶしいなぁ、おい、と思った。こんなくそ暑い日に外出て遊んでる小学生は頭がやべえのでは、と思う。買い物袋をひっさげて歩く主婦も、わらわらと大人数ではしゃいでる高校生も、汗だくで歩いてるスーツ着たおっさんも、みんなこえーよ、と思う。

 でも、今一番こわいのは間違いなく目の前にいるこいつだろう。

「女子高生に話しかけられているのよ、感謝されるおぼえはあってもそんな風に睨まれるおぼえはなくってよ」

「そんな口調のじぇーけーはいねえだろ・・・・・・」

 腕を組んでこちらをみるセーラー服姿の女の子は、自信ありげにあごをあげている。見下ろしたいなら脚立でも持ってくるべきだと、ぼくは思った。

 公園の入り口にほど近いベンチには、コンビニで買ったと思われる弁当の入れ物がおいてある。それを拾って、四十五リットルのビニール袋にいれた。

 ぴーひょろろ。夕焼けの空にとんびの声がきこえる。ぴーひょろろ。少しだけ笑ってしまいそうになるのを必死でこらえる。ぴーひょろろ。へたくそなリコーダーみたいで、やっぱりどこか可笑しい。

 また、三人組の高校生が公園に沿うようにして舗装された道を、笑いあいながら歩いてくる。彼女とは違ってワイシャツだ。

「ばかとんび! からあげくん返せ!」

 一人の男子学生が空に向かって叫んだ。公園といってもかなり広いので、まだ距離はあったはずだが、彼の叫び声は耳のいいぼくにははっきりときこえた。

 とんびのたくさんいるここらへんでは、食べ物を盗まれることは少なくない。というか、かなり多い。その被害は窃盗だけにとどまらず、とんびの鋭い爪は人にけがを負わせることもある。というか、かなりある。

「で? 死んだ人には何がかなわないの?」

 叱っているようにも諭しているようにもきこえる彼女の声。

「ていうか、きみ、誰?」

 ぼくはきいた。きかずにはいられなかった。素性も知れない相手に話しかけるなって学校で習わなかったのかなこいつ、と思った。久しぶりに外出るとろくなことないな、とも思った。

「うわっ、とんび死んでる!」

 男子学生たちの声はすぐ近くからきこえた。

 ぼくはセーラー服の彼女と目をあわさないように、声のした方を横目でみる。

「うげえ、きもちわる」

「ね。でも・・・・・・、何だかかわいそう」

 ピンクのワイシャツの女子高生がそうこぼす。

 一人がかがんで、何かを地面においているようだ。

「おま、何してんだよ」

 焦った声音で男子高校生が言った。

「からあげくんやってんだよ、お供えもん」

「いいから、いこっ」

 足早にかけていく高校生たち。ぼくの視界からとんびの死骸はみえないけれど、きっとすぐそこにあるのだろう。動物の死骸って、見つけたら市に通報しなきゃいけないんじゃなかったっけ、と思った。いつもなら関係ねえやって無視できるのだけれど、今日はある目的のためにきているのだから、ネットで調べなければいけないかもしれない。

 視線をもどすと、未だに彼女はぼくをみていた。セーラー服の、謎のじぇーけー。

 ようやく目をあわせる。肩をすくめる。ため息をついてみせる。

「ほらな」

「ほらな?」

 うながすように彼女は一瞬頭を上下にふる。

「死んだやつは偉くなるんだよ。あのとんびみたいに。あんだけからあげくん盗られていやそうにしてたのに、死んだとたんこれだ」

「死んだ人にかなわないってどういうこと?」

「評価さ。やっていること、これからやること、すべての自分の行いに対する評価」

 ぼくは口角をあげた。

「死んだもんは究極的に美化される。どんな些細な善行さえ大きくみえ、あまたの蛮行も砂のように流れる」

「だから?」

「だから」

 もったいぶって一度言葉を切って、深く息を吸う。

 彼女はぼくをみている。夏の夕方の、蒸し暑い公園にいる、誰でもないぼくをみている。

 のどがからからで言葉が出ない。胸の鼓動の音が耳元で響いて、とてもうるさい。うるさい。うるさい。

 深く息を吸う。吐く。すう。はく。

「死にてえとなったとき、何でもいいから善いことして、派手に死のうと思った」

「だから・・・・・・、あなたは公園でごみ拾いをしているのね」

 顔を横にそらして目を伏せた彼女のまつげはとても長くて、つい目を奪われる。

「思っていたよりもいい答えだったわ」

 顔をあげて、にこりと微笑むじぇーけー。絵になるなぁと思いつつ、ひどく場違いな気がして、目が泳いでしまう。

「た、ただのごみ拾いじゃねえぞ、この公園の近くは人通りが多い、ましてや今は夕方五時、主婦やら少年やら女子高生までみている! 善行は人にみられなければ意味がないからなあ。こうやって徳を積み上げ、おれは歴史に残る死を勝ちとるぜ」

「なんだか可愛いのね、個人的にはそのばかげた理由も含めてポイント高いわ、よかったわね女子高生にこんなこと言ってもらえて」

「じゃあ次はおまえだ」

「え?」

 きょとんという表現がふさわしいとぼけ顔。どっと疲れが出て、頭をかかえたくなる。ビニール袋にはまだ半分もごみは入っていない。ぼくが彼女とは反対方向に歩き出すと、後ろからついてくるローファーの音がきこえた。四歩ほど先の地面にある空き缶が目に入る。後ろを振り返ると、彼女はもういない。

「はぁ、ようやく」

「ようやく、何かな?」

 目頭を強くおさえた。

 振り返ると案の定、空き缶を手にした彼女がいた。

「なんでおまえもごみを拾っているのか、その理由を互いに話すって約束だろ・・・・・・」

「話す必要ある?」

「おまえが話せって言ったんだろ・・・・・・。しかも営業妨害だ、どうせならごみを公園に捨てていくはた迷惑なじぇーけーをやってくれればいいものを」

「女子高生がごみを拾っていたら、ウケがいいとは思わない? 話題になって、テレビに映るかもしれない」

「おまえサイテーだな・・・・・・」

「あなたに言われるとシャックね、ってちょっと、どこ行くの」

 ジャングルジムの方にもごみがあった気がする。彼女に構うのも疲れるので、ぼくはごみ拾いを再開することにした。

「今のはショックと癪をかけた高等言語よ」

「今の高等学校ではそんなものを習っているのか?」

 これがゆとり教育なのだろうか。

「独学なの」

「ここの公園はごみが多くて助かるぜ」

 たしかにジャングルジムの周りにはたくさんごみがあった。たばこの吸いがら、使用済みの手持ち花火、コンビニの袋、サンドイッチの包み紙。ゆっくりと、一つ一つ確かめるように拾う。使われたあとに用済みだから捨てられる。それは粗大ごみやおもちゃとはまた違う、儚くて、軽くて、虚しいごみだった。

「無視されるのは悲しいものね」

「おまえ、わざわざごみ拾う必要ないだろ? おれは好きでやってんだから、じゃましないでくれ」

「じゃまするためにやっていると言ったら?」

 風に吹かれてふわふわと、ゆったり空に身をまかせて飛んでいるたんぽぽの綿毛みたいに、とても優しい声。

 それに驚いて、どうしていいのかわからなくなって、袋が手から離れて、地面に落ちた。

「他の、場所に行くよ・・・・・・」

「わたし、迷子なの。だからごみ夢中なあなたがちょっと羨ましくて」

「はっ、おまえは五里霧中ってか」

「三点」

 ごみ夢中のイントネーション的に言わせたの絶対おまえじゃんか・・・・・・。

「迷子ならごみ拾ってる場合じゃないだろ」

「そこらへんのごみでもいいから、話をしたかったの、だから本当にありがとう」

「おい、こっちみながら言うな。まるでおれがごみみたいじゃねえか」

「あら、あなたに言ったのだと言ったら?」

「他の場所に行くよ・・・・・・」

「さっきからどうしてわたしを避けようとするの? そんなにわたしが嫌い?」

「おまえが誰かもわかんねえから好きでも嫌いでもないよ・・・・・・」

 ぐっと、彼女がこちらに近づいた。その真剣な眼差しが何かを訴えかけているようで、ぼくはうろたえる。ぼくは彼女を知っているのだろうか・・・・・・? 彼女はぼくを・・・・・・?

「じゃあどうして避けるの?」

 彼女はきいた。

「じぇーけーと話したり近づいたりしたらお巡りさんがくるだろうが・・・・・・」

「あら、それはごめんなさい。・・・・・・本当にごめんなさい」

「おいおい、急に改まってどうし・・・・・・」

「きみ、ちょっといいかな?」

「・・・・・・本当にお巡りさんがくるとは思わなかったわ、ごめんなさい」

 通行人がさっきよりも増えている。心なしか視線が痛い。

「せっかくの善行が無駄になったな、まだ死ねない・・・・・・」

 とんびがどこかで、ぴーひょろろと鳴いた。ぼくは思わず声をあげて笑ってしまって、お巡りさんがぎょっとした顔をする。

 セーラー服の彼女は空き缶とコンビニの袋とサンドイッチの包み紙を、手にしっかりと持ったまま夕焼けの空を見上げ、旧友との再会を懐かしむような笑顔でつぶやいた。

「命拾いしたな」

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