好きって何?を考えすぎてしんどい人へ

人生を2人でもっと面白く! PairStylesのようすけです。

 

以前、

「好きと風邪はどちらも感染る」

というタイトルで一年くらい前につらつらと文章を書いたことがありました。

なんとなく言いたいことは伝わるかなあと思ったんですけど、最後投げっぱなしにしてしまったキーワード(”お風呂”とか)があるので、そこを整理して自分なりにまとめてみようと思います。

 

「好きってしんどいな〜」

とか

「好きなのかわからなくなってきた」

とか思ってる人にぜひ読んでほしいです!

それではいってみましょう!

好きと風邪はどちらも感染る

好きって、ずいぶんと重い病気だ。

例えばどうでもいい酔っ払っている人が、車の行き交う二車線道路の間に立って、ぴゅんぴゅん走っている赤いミニクーパーめがけて、急にお花を摘みはじめても、あー、そんな人もいるんだなあ、気持ち悪いなあ、くらいで終わる。たぶん一生目を合わせることはない。

めっちゃ好きな人が道の真ん中で同じことをしたら、たぶん、泣く。一生目を合わせたくないと思うか、禁酒外来にただちに連れて行くだろう。

好きって、期待することだ。相手にも相応の行動や言動を予想して、期待通りにいかなければ、失望や落胆、怒りを感じてしまう。

 

好きって、一方的なモノではない。ある程度の、相互性がある。

だから、ムカつくことがあるのだと思う。

 

「それって、本当は好きじゃないんだよ。じぶんのことが好きなだけ」

「真にその人のことが好きであれば、怒りの感情がわくことはない」

「あなたが未熟なのだ」

 

そんなバカなことはない、とぼくは思う。

好きは風邪と一緒だ。

 

平熱ではなく、身体に熱があって39度になるように、心に熱がある、異常な状態を好きと呼ぶのだと思う。

しかも急に温度があがったかと思うと、すっと、寝て起きたらさめることもある。

 

好きと風邪は、どちらも感染(うつ)る。

熱があがってしんどくなることはあっても、熱がさがりすぎて、嫌いすぎてしんどいことって、あまりない気がする。

熱があがると、お、熱があるぞ、とわかる。改めて体温計ではかっても、やっぱり熱があって、今じぶんは風邪なんだと認識する。

好き度が高くなるときって、低かったときと比べるから、そうか、好きなんだなあとわかって、今のじぶんの状態を、風邪をひいたときみたいに正しく認識できる。

けれど、ずぅっとその「好き」の状態が続くと、それが平熱に感じられて、37度8分くらいあって、熱はあるはずなんだけど、39度のときと比べたら微熱だ、と思ってしまう。

しかも同じ熱を保っているから、体温計ではかろうとも思わなくなって、本当は熱があって、好きなはずなのに、あれ、熱あるのかな? 好きじゃないのかなって思ってきてしまう。

 

でも本当は、好きなはずなのだ。

 

熱にうかされるような熱ではなくなったとき、不安になることがあるけれど、大事なのは、お互いの平熱を合わせることなのだと思う。

それが39度でも、35度でも、だいたい一緒の熱であること。

これは、お風呂に入ったときによくわかる。

お風呂って、人によって適温が違くて、35度の人と39度の人は、一緒に入ることができない。どっちかが我慢しなければいけなくなって、リラックスできないから、いずれ一緒に入るのをやめてしまう。

だから、35度でも39度でも、熱の状態、好きの状態はどちらでもいいのだけれど、互いがだいたい一緒くらいで、ともにお風呂に入ったときに、あー、気持ちいなあとリラックスできる状態がよいのだと思う。

 

好きと風邪は、どちらも感染る。

その二つには、共通点がいっぱいだ。

ただ、明らかに一つ、違うところを挙げるとするのならば、

好きはうつってほしくて、風邪はうつってほしくない。

それだけなんだと思う。

 

風呂ってなんだ?笑

だいぶ投げやりにオチをつけている。

喩(たと)えであったはずの”お風呂”が本当は何なのかを示さずに終わってますね。

お風呂が表すのは他人とか、外部の基準なんだろうけれど、温度差が違うとわかってしまっては2人の関係性は継続できない。

だからお風呂=第三者的な価値基準があることが大事なんじゃなくて、そもそもどうやって同じお風呂を居心地よく過ごせる人を見つけるか、or同じ体温に近づくことがができるかが知りたいですよね。

あとは、お風呂って35度のぬるま湯だと気持ちよくないから、どっかで沸かさなきゃいけないはずです。

そのお風呂もまた、外部的な要因に頼る必要があるんですかね。

 

本当は昔だったら、快適なお風呂ライフを楽しむためには木を切って、薪をくべて、火の番をしながらフーフー風を送る必要がありました。

でも今って、スイッチ一つでお風呂は沸きます。

そんな風に楽することを覚えてしまった現代の人は、もしかしたら昔の人が

「やば、どうしようまじ気持ちいい。お風呂に入れるってなんて幸せなんだ…」

って感じていた気持ちを思い出すことはないのかもしれません。

恋愛も同じように、何でもかんでも楽ができる現代では、お風呂入るために汗かいて必死にフーフーする、っていうのがわからなくて、受け身になってばかりしまって、熱い気持ちが持てなくなってしまっているのかもしれませんね。

 

自分でも何を言っているのかわからなくなってきてしまいましたが…。

好きって何?を考えすぎてしんどい人へ

  

好きは病(やまい)です。

下手な理由つけて好きとか嫌いとか決めつけてるつもりかもしれないけれど、

今感じてるその感情が、まっすぐ正しいものなんだと思います。

でも自分で火をおこして、自分でフーフー息を吹きかけない限り、お風呂はあったまらないし、気持ちよくもならないので。

だから汗かいて、必死こいて、もがけばいいと思います。

 

 

  

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