「うまいこと言おうとすんなって」
きっと涙目。
ぼくってダサいなぁって思いながら、ゆきこ先輩を睨みつけている。
敬語じゃないし。
ゆきこ先輩怖いから、後でぶっとばされるかもしれないなぁって思いながら。
でも許せなくて、ぼくは地面に這いつくばったまま、惨めなまま、何者でもないまま、彼女を見ていた。
土の味がする。
よく言えばおしるこみたいな。
悪く言えば、いや、悪く言わなくても土。
もにゃもにゃして、じゅわって舌の上で溶けて。
舌の上、したのうえ、うえしたしたうえ、不思議だね。
ワイシャツがたぶん、土にまみれてまっ茶色。
抹茶色?
いや、真っ茶色。
どうしよう。
許せない許せない許せない。
それはゆきこ先輩の存在を否定したいとか、考えを否定したいとか、そういうわけではなかったけれど、いや、大人ぶったな、そういう理由(わけ)なのかもしれなかったけれど、でもとりあえず、彼女を彼女として尊重したまま、でもやっぱり許せなかった。
お前が許せるか許せないかなんてどうでもいい。
たしかに。
だから他人には言わない。
これはぼくとぼくとの戦い。
戦い?
争い。
争い?
いや違う。
これはぼくがぼくであるための、けじめだ。
みかじめ?
それはヤクザ。
おっパブ?
いつかいきたい。
いやいや違うって。
「なに、それ」
首が痛くて、ぼくの背中に乗ったゆきこ先輩の目を見ていられない。
本当は見なきゃいけないのに。
悔しい。
違う。
違くない。
悔しい。
「だから、……いやですから、なんで上手に言おうとするんすか」
ゆきこ先輩睨むとむっちゃ怖い。
「どういうこと? たろう、あんたにはわたしが上手に言おうとしてるように見えたってこと?」
「してたじゃないですか、先輩。綺麗な言葉で取り繕って、それっぽいこと言ってるだけじゃないですか」
ゆきこ先輩はギャルい。
今日はおでこを出して、髪の毛をくるくるにさせて、左手に黒色のシュシュをしてて、スカートはすごく短い。スカートはいつも短い。
いや、怖いて。
「あんたがさ、へたくそなんじゃん。だからわたしが出張って、こんなことを言わなきゃいけなかったんでしょ?」
語気は強い。
!! ってマークをつけたいくらい強いけど、ゆきこ先輩の声音はあくまでも冷静で、落ち着いていて、低くて、ドスがきいてて、怖くて、だからたぶん、ぐぅってぼくのお腹に響いてくる。
てかさすがに重いなぁ。
「わたし、そんな重い?」
え、怖い怖い心の声読めるんですか無理すぎる何その目絶対殺される……。
「たろうちゃーん、あんまりお姉さん怒らせると大変なことになるから気をつけてね、いつも通り心の声漏れてるからね一日中勉強部屋にぶち込むぞ?」
「え、ゆきこ先輩ってぼくのお姉ちゃんだったんですか?」
「違うわ!」
パァン、と頭をはたかれる。
え今のそういう感じだったじゃんなんなん……?
「……先輩、って頭いいですよね。そんなナリで、でもクラスで一番なんですよね? わかります、そんな感じしますよ。その見た目で一番頭いいって、それも含めてプライドなんですよね? だから、一見簡単そうだけど、難しい言葉使うんですよね。間違ってそうで、すごく正しい言葉使うんですよね。ゆきこ先輩の正しさは、外にあるんですよ。教科書とか、本とか、先生とか、実は反抗しているようで、あなたは一番縛られている。ぼくはバカだから、学校の成績でも、人に対しても、他の何であっても、ぼくは結局バカだから。わからないことだらけです。失敗ばかり。いつも怒られてます。でも、ぼくは、こんなこと言葉にしたら急に陳腐になって、お豆腐腐ってしまうけれど、ちょっと自分でも何言ってるかわからないけど、でも、先輩が思ってもないことを言っているのはわかります。いや、わからないかもしれないけど、ぼくは何もわからず屋なのかもしれないけど、けどけど言ってるけど、でも、でもでもも言ってるでも、あなたが、ゆきこ先輩が、上手に言葉を使おうとして、自分自身を見失っているように感じてるんです。だから、もっと醜くあってほしいんです。こんなのぼくのエゴだけど、いや、エゴでいい、エゴです、だから! ゆきこさん、そんな言葉使わないで……っ」
息継ぎをする。
ぼくは後悔をする。
喋ったこととか、自身の言葉に対する後悔ではない。
ぼくのエゴまみれの言葉の針を、突き刺すのをやめてしまったことに対する後悔。
もっと伝えたいことがある。
もっと押し付けたいことがある。
この地面に這いつくばらされて、上に乗っかられて、そんな屈辱、いや屈辱ではないけれど、そんな辱め、はずかしめでもないけれど、でもまあ間違いなくバカにされて、いやぼくはバカだけれど、違くて、とにかくこんなことをさせられて、学校中のみんなが見てて、いやそんな見てないか、何人かが見てて、お母さんがワイシャツを洗わなきゃいけないと考えたら、こんな言葉じゃ足りない。
「自分で洗え、ばか」
たぶんゆきこ先輩の声。いやそんなはずはないだって心の声。
もっと押し付けたいことがたっくさんある。
この終わらせ方を、ぼくは知らない。
きっとぼくは彼女を傷つけるだろう。
彼女はもしかしたら、ぼくを許さないかもしれない。
それは嫌だ。
それはイヤ。
うまいこと言えない。
たぶん本当は、丁寧に、ちゃんとした言葉を届けなければいけないのに。
届けたい気持ちがあるのに。
ゆきこ先輩がこれ以上傷つかないように、優しく言葉をかたどりたいのに。
「あのさ」
ぐっと一度押しつけられて、気づいたら身体がふわっと一瞬浮いた気分。
あ、先輩が立ち上がったのか、と気づいた時には、彼女の後ろ姿が見えていた。
「うまいこと言おうとすんなって、たろう」
いや、それぼくのセリフ、って言葉を飲み込んで、たぶん飲み干して、ぼくは土に顔をうずめた。
おしるこの味がする、って思いながら、目を閉じた。
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