酔いざましの夜の物語

はー、今日のゆんさんとの飲み、楽しかったなぁと僕はひとりごちる。

いっぱいワインを飲んで、いっぱい笑って、名残惜しさに後ろ髪引かれる思いでの解散。

心地いい。

もう30歳になったのだと、にわかには信じられなかったけれど、今日改めて彼女と年齢の話になって、どこかふわふわとしていた30という数字が、急に重みを持って感じられた。

将来に不安がないのだと言えば、それは嘘になる。

「お兄さん、何してるんですかー?」

目の前には学校のジャージと見られる長ズボンとTシャツを着た、10代くらいの女の子がいた。

小さなコンビニ袋とガリガリくんの袋を持って、こっちを見ている。

「……帰ってる途中だよ」

学級委員長をやっていそうなタイプだな、と一目見て思う。

三つ編みのおさげに丸い眼鏡。

その目の奥は、どこかいたずらっぽい光を放っている。

「お兄さんって、運命信じますか?」

ぼくは立ち止まる。

風が強く吹いた。

揺れる三つ編みと、秋の落ち葉。

カラカラと自転車の車輪が廻る音がどんどん遠ざかっていく。

この焦りはなんなのだろう。

彼女の瞳は多くを語らず、ただまっすぐと僕を見ていて、まるで心の中を見透かされているのかと思うほどの、居心地の悪さを感じる。

あぁ、不安だ。

それは将来のこととか、どこか冷静になれている自分自身のことではなく。

この委員長っぽい子に対して。

まるで当たり前の感情だったけれど、僕がこれほどまでに描写を引っ張ったのは、現実逃避がしたかったからかもしれない。

将来でも自分でもなく、この頭のおかしな子から。

「夜中に初対面にそんなこと言う人には近づかないようにしてるので、それじゃあ」

踵(きびす)を返した僕を追いかける、慌てた頭のおかしな子の気配を感じたから、……走った。

全力で走った。

何が、運命信じますか? なんですか! 怖い! 怖すぎる!!

「ちょ、ちょっと待って土井さんですよねごめんなさい怯えさせるつもりはなかったんです!!」

なんで僕の名前知ってるの怖い!

「お願いします無視しないで、ゆんちゃんからよく話をきいてたんです、あと写真もっ」

ゆんちゃん、という名前をきいて、足がぴたっと止まった。

よかった……、とりあえずまったくの不審者というわけではなさそうだ。

振り返ると、膝に手を当てて、はぁ、はぁ、と大きく息を吸って吐いてしている眼鏡っ子。

「……委員長さん、なんで運命の通り魔してきたの?」

「運命の通り魔って何ですか……。ていうかなんで私の名前知ってるんですか。それよりもゆんちゃんからきいていた人物像とのギャップがすごいんですがどういうことですか」

「運命の通り魔っていうのはね、道端で突如“運命”をネタにして強請(ゆす)ってくる人のことだよ」

「一番優先順位の低い質問にだけ答えてくれてありがとうございます」

「……ごめんなさい。委員長って名前なの? 知らなかった、とりあえず見た目で言ってみただけ。今は少し酔ってるのと、ゆんさんと会った帰りだから少しだけ言葉が軽くなってるのかもしれない」

「なるほど、ありがとうございます。……ちょっとからかって見たくて、ゆんちゃんがいつも話している土井さんってどんな人なんだろ〜って気になって、声かけてしまいました。ご不安な気持ちにさせてしまってごめんなさい」

「いや、大丈夫だよ。むしろ逃げてしまって申し訳ない」

ほっ、と心の中で一息つく。

さすがに現実で”運命“などと易々(やすやす)と口走る人間が、まともでないことは分かっているし、関わるべきでもないと分かっていたけれど、もしかしたら1000回に一回くらいは、こんな相応しい偶然があってもいいのかもしれない。

今日の夜に相応しい、ワインの酔いの、その余韻の続きみたいな、出会い。

「土井さん、家の近くまで送ってくれませんか。少し、……話相手が欲しかったところなんです」

「いいよ、委員長さん。酔いのさめるところまで。ちょうど話相手が欲しかったからね」

こうして僕らは、歩き出す。

これは酔いざましの夜の物語。

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