どきどきしない、というのは致命的だ。
頭でわかっていることと、心が一致しないことはよくある。
どんな合理的で理屈の通っていそうなことだったとしても、違和感を覚えたり、心が追いつかないなら辞めてしまった方がいいに決まっている。
心に従うこと。
その心に後付けで論理をくっつけるべきだと、ぼくは思っている。
なんか違うのなら、なんか違うのだろう。
上っ面の”それっぽさ”は、お終いにしてしまえ。
わかっているつもりなのだけれど、頭でっかちなぼくはいつも間違える。
論理っぽさを振りかざして、相手の腑に落ちない納得をさせてしまうことがよくあるのだ。
論理に偏った言葉はほどほどにしておく。
それよりかは、心の景色を形どって、美しさと醜さの同居する言の葉の庭を精一杯愛でてやりたい。
好きな数字は17。
その理由は何だったけ。
生きる意味なんてない。
たしかになさそうだ。
人生はきっと、生きる意味がないからこそ面白い。
なんて、また言葉を弄してみる。
人との正しい接し方がわからないのは、小さいころから抱え続けてきたぼくの悩みだった。
そもそも正しさを求めることが正しくないのだろうし、人なんて一括りにするのは大雑把すぎるに違いないのだけれど、その答えがずっとずっと欲しかった。
答えを欲しがる割には、ぼくはいつも、間違えたなぁと思って昨日を振り返る。
近すぎたなぁ、とか、言葉足らずだったなぁ、とか、配慮に欠いていたなぁ、とか。
その後悔を覆い尽くすくらい、楽しかったなぁ、という感情が溢れるから、懲りずにまた誘ってしまうのだけれど。
結局グダグダ考えるのは趣味みたいなもので、ドMみたいなもので、重い重い思いを背負って、やっぱり人と関わるのがやめられないほど好きなのだ。
自分のすすめたモノを受け止めてくれることが、ほんとにほんとに心から嬉しいのだということを、ぼくは久しく忘れていた。
大事に扱われることに慣れていないのである。
それは、誕生日を盛大に祝われて、喜びよりも戸惑いが勝つ感情に似ていた。
その重さに見合うお返しができていないのでは、と不安になって、そのせいで余計変なリアクションをとってしまうような。
また、支離滅裂だ。
何を書けばいいのかわからなくなってから、テーマを定められなくなってから、のべつ幕なしに自分の感情を垂れ流す文ばかりが続いている。
そうしないと何も書けないまま、延々とパソコンの前で固まってしまうことになるから。
ぼくの感情にお付き合いいただいて、ありがとう。
今日はこの辺にしておく。
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