こんにちは、ほうじ茶大好きようすけです。
不在感を覚えている方が、この文章を最後まで読むことで少しでも楽になってくれたら幸いです。
世界に対する不在感、じぶんはここに居てはいけないという不安。
みなさんはじぶんの居場所ってありますか?
小学生のころ、”生活”の授業かなんかがあったんですが、そこではしばしば学校側から生徒にアンケートが行われていました。
授業のわかりやすさや先生の態度、交友関係や放課後の過ごし方などが質問事項にはあって、その中にある一つの質問が
「学校の中で自分がよくいく場所、自分の居場所だと思えるようなところはどこですか?」
だったんです。
ぼくはたしか、”図書室”を選んでました。
物語が好きだったので笑
嫌なことがあったり、喧嘩したりすると、よく図書室にいって本を読んで、心を落ち着けていました。
現実逃避をしていたとも言えるかもしれませんが、ぼくにとって「図書室と本」はたしかに、心安らげるじぶんの”居場所”だったんです。
みなさんは、
「ここがじぶんがいていいと思える場所だー」
というところってありますか?
そんなの家があるじゃないか、って思う人もいるかもしれませんが、親やパートナーと暮らしていて、家を居心地のよい場所とは感じられていない人も多くいます。
また、一人暮らしはたしかにじぶんが居る場所ではあるんですが、ここで言う”居場所”とはちょっと違うように思います。
というのも、一人暮らしって、
「あぁ、帰ってきたなぁ、この場所はじぶんを受け入れてくれる、いていいよって言ってくれている場所だなぁ」
とはならないとぼくは思うからです。
全員には当てはまらないかもしれませんが、一人暮らしってどこか寂しさも含んでますよね。
居場所って、
ここに居なきゃいけない
とか、
帰ってこなくてもいい
とかでもなく、
ここにいてもいいよ
って暖かく見守ってくれるような存在なのではないでしょうか。
あ、いてもいいんだ、って思う。
誰もじぶんの存在を否定しないし、制限もしない居心地のいい場所。
それは本来、家に根付いていたものでした。
じぶんの住む家。
地域の家。
それが現代では、じぶんの家とは限らなくなり、ネット上のコミュニティとか、サークル、級友のグループとか。
でも、そこにも空虚さが表れたりなかったり。
不安定で、じぶんの居場所がどこかわからなくなることがある。
いつも一緒で居心地のよかったはずのグループから、突然爪弾きにされて寒空の下放り出された気分になる。
だから、多かれ少なかれすべての人に、パートナーがほしいと思うときがあるんだと思います。
じぶんの居場所と感じられるところが、実家にもない、友達にもない、学校にもない、会社にもない、どこにもない何もない。
じぶんの居場所は一つじゃなくていい
親や友人、仲間や同僚に期待しすぎると、しんどいことありますよね。
じぶんは誰にも必要とされていないと感じたり、どこにも居ることはできないと感じたり。
それって、
”居場所は一つしか作ってはいけない”
って思い込んでるから起こることではないでしょうか?
小学生だったぼくにとって、図書室は心を支えてくれる”居場所”でした。
ただ、図書室が”そう”だったのではなく、図書室にある本の一つ一つが、その時々のぼくの感情に合わせた居場所でいてくれたんです。
勇気を出したいときは背中を押してくれる本。
悲しくて泣いてしまっているときは元気をくれる本。
じぶんがイヤになってしまったときは魅力的なキャラの活躍する本。
それぞれが、ぼくにとっての居場所であり、受け入れてくれる場所でした。
臆病なぼくも、強がりなぼくも、間違えてしまうぼくも、たくさんの本が、物語が、否定することなく寄り添ってくれたのです。
イマジネーションに溢れていた子どもの頃、それは本物でした。
ただ、今となっては、(今でも物語は大好きですが)本を”居場所”にはできないくらいには大人になってしまっています。
でも、本から教えてもらったことはぼくの中で生きています。
居場所はいくつあってもいい。
その時々のタイミングで、居場所が変わってもいい。
大事なのは否定しないこと、一人一人の物語の裏側やその先を想像すること。
それを意識するようになってからなのか、それとも単に恵まれていたからか。
ぼくには
”ぼくの居場所だ”
と心の底から言えるところが、たくさんあります。
居場所はいつからでもつくれます。
居場所はじぶんがそうだと思えば居場所になります。
今現在、居場所じゃなくなったからといって、今までもこれから先も居場所じゃないことなんてないです。
いつか、世界中に”ここがぼくの居場所だー!!”と言えるような場所ができますように。
いつか、誰かの大切な居場所になれますように。
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