ぼくの兄の子どもたちはまだ小さく、めちゃめちゃ可愛い。
一昨年はまだ、ぼくの名前を認識してくれていなかったように思うけれど、今は二人とも、ようすけ、ようすけ、と元気に呼んでくれてすごく嬉しい。
小さな子どもを、ぼくは元々、変な生き物であるという点で好きだったのだけれど、わざわざ人に言うのはやめておいていた。
男性が子ども好きというのは、どうも座りが悪いというか、個人的に言うのは憚られた。
しかも、庇護欲的な、母性的なものではなく、ただ単に、予想のつかないことや理屈の合わないことをする不思議な存在として、まるで動物園のチンパンジーを見るような感覚で面白がっていたのだから、なおさら。
ただ、子どもたちを遠くから見るのは好きだったけれど、実際にお世話をしたり、一緒に遊んだりするのはどうだかなぁと思っていた。
はたから見ているだけでも大変そうなのだから、きっと子育ては計り知れない苦労にまみれている。
子どもと関わること自体が、とてもむつかしそうで、ぼくにできるとは到底思えなかった。
とはいえ、その可愛さには勝てなかった。
甥っ子と姪っ子は二人ともめちゃめちゃ可愛くて、一緒に過ごすのは、バターが口の中でとけてなくなるときみたいな罪深い幸せを感じる。
何日間か一緒に過ごす。
兄の奥さんはすごく素敵な育て方をしているなぁ、とぼくは見ていて思う。
子育ての正しさなんて知らないけれど、海よりも深ぁい愛は確かに感じる。
こんな素敵な母に育てられたら、絶対健やかに育つに違いないと見ていて思うのだけど、どうやら当のお母さん本人は、色々悩みや迷いがあるみたいで、毎日しんどそうで、微力ながら、何か手助けできないかと探す。
どんな育て方をしていても、愛を持って接しても、むつかしい子どもはむつかしい。
癇癪を起こして、怒って、泣いて、言うことを聞かないなんてこと、たくさんあるのだろう。
それは誰のせいでもなく、きっとホルモンとか、遺伝とか、性質なのだ。
喧嘩して泣き叫ぶ3歳児と2歳児の彼らを、丁寧に、感情に流されるのではなく、手段としてきちんと素敵に叱るそんなお母さんを見て、そのすぐそばにいて、ぼくは唇を噛み締める。
というか、子どもたちが本当に言うことを聞かない。
やらなければいけないことがたくさんあるのに、一向に進まないのだ。むしろ後退しているまである。
そして泣き叫ぶ彼ら。
これはノイローゼなるわ、とぼくは他人事のように思いながら、笑うのを必死に堪えている。
何が面白いって、本当に言うことをまったく聞かないところ。
タスクをもうまったくこなせなくて、逆に面白くなって、というか笑うしかなくなって、ぼくはニヤニヤとしてしまう。
もちろん自分に何ができるかを考えて、最大限動いているつもりだし、お母さんと一緒にこの泣き叫ぶ子たちをどうにかして次の任務に当たらせる必要があるのは重々承知なのだけれど、信じられないくらいに何も上手くいかなくて、泣き叫びたいのはこっちだよって感じなのにめっちゃ目の前で子らが泣いていて、もうほんと、不謹慎というか母にはとても申し訳ないんだけど、こっそりバレないように笑ってしまう。
必死に唇を噛み締めて、真面目そうな顔をして。
神妙な面持ちで彼らを見る。
子育てをしている、全国のお母さんお父さんに深い尊敬の念を送る。
すごい、すごすぎる。
ありがとうございます。
感謝の念も送っておく。
無責任な立場でよかったなぁ、と無責任なことを思いながら、ぼくにできることがないか、もう少しだけ探してみる。
泣き叫ぶ彼らを見て、面白すぎてニヤニヤしてしまう自分の顔を隠しながら、口出しはせずに、とりあえず荷物だけを持つ。
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