こんにちは、未来大好きようすけです。
VRはコミュニケーションを変えるって思いました。
あと、VRは恋に似てるって思いました。
今回はそんなVRのおすすめゲーム3つと、VRと恋の相関について書いていきたいと思います。
オキュラスクエストのおすすめゲーム
ちなみにVRといってもソニーのPS4などのゲーム機を使ったプレイステーションVRや、スマホで遊べる簡易的なVRゴーグル、パソコンや単体で動くVRヘッドセットなど、色々種類があって、値段も3000円から10万円以上するものまで、ピンキリだ。
ぼくが持っているのはOculus Quest(オキュラスクエスト)という、パソコンのいらない、本体だけで動作するVRヘッドセットなのだけれど、これが存外によい。
しかも値段はOculus Quest2で37,000円くらいと、前はその倍くらいはしていたから、かなり手の出しやすい価格になってきている。
オキュラスクエストをおすすめする理由は最後に述べているので、よかったら読んでみてほしい。
とりあえず今は、ゲームのおすすめを挙げていきます!
Beat SaberというVRの音楽ゲームは、言わずもがな、一番有名なやつで、やはりすごかった。
ライトセーバーにそっくりなやつを振り回して、もうじぶんが世界で一番かっこいいジェダイなんじゃないかって思いながら気持ちよくぶんぶんできる。
ただ、さぞかしかっこいいんだろうなあと思って、プレイ中のじぶんの動画を撮ってみたら、予想以上にダサすぎてふと我に返った。
BoxVRは、ボクシングゲームというか、もはや完全に運動に近い。
20分やったらもう腕はまったく上がらなくなって、汗だくで、正直ぶったおれるかと思った。
Beat Saberも運動になるんだけれど、このBoxVRはどこかのサイトでワークアウトappとして紹介されるだけあって、運動量が全然違う。
やせたいなら絶対にやるべき。たぶんぼくはこの調子だと激ヤセしてしまう。いや、その前に筋肉つくか。
最近は(といってもまだ3日間だけだけど)この2つをやりすぎて、毎日筋肉痛である。
最後はこちらEleven Table Tennis VR
本当にリアルな卓球ができるゲーム。
オンラインでぼっこぼっこにされた人に、これずっとやってたら現実の卓球もうまくなるよって言われた。
実際、ぼくはニュージーランドのホストファミリーの家に卓球台があったため、毎日のようにホストブラザーと卓球をして遊んでいたのだけれど、本当にこのゲームは卓球そのものだと思った。
最初はちょっと映像が古臭くてしょぼいなあとか思っていたのだけれど、オンライン対戦で知らない人と戦ったら考え方が180度変わった。
めちゃめちゃ面白い。
すごく白熱して、これも大汗をかいた。
しかもプレイ中は対戦相手と会話もできて、なんだか仲良くなって、友だちになった。
卓球のラケットとそうじゃない方の手と、頭につけたヘッドセットが表示されて、その中でのジェスチャーや、お互いの負けたときの感情の出し方なんかもわかったりして、そのコミュニケーションの形が存外に面白かった。
卓球をぽんぽんとしながら、顔も知らない人とちょっとした会話を続けるのは不思議で、ただ、声以外の情報(腕と頭は見えるから)、頭を抱えたり、ちょっと待ってって合図したり、今のナイスショットだね、みたいなのも表現できたりして、すごくすごく興味深かった。
こんな新しい関わり方があるのか、と感動している。
VRは恋とほぼ同じ
Oculus Quest という、去年のたしか今頃くらいに発売されたVRヘッドセットがあって、いまさらながら購入してみたのだけれど、正直予想をはるかに超えて、すばらしいものだった。
少しぼくの話をするのだとすると、ぼくは常日頃から、
「うまいご飯を食べて、大切な人たちと笑いながら話して、ゆっくり風呂に入って寝る。これほどのぜいたくはこの世に他にないし、これさえできれば何もいらない」
と豪語している。
「小さい画面にとらわれて景色を見逃してしまうくらいなら、スマホは旅先では捨ててしまった方がいい」
とも言っているし、
「東京にはあまりにも新しいサービス、新しい商品が日々生まれすぎていて、人間が豊かに暮らすのに、本当にそんなものが必要なのかは甚だ疑問だ」
と口を酸っぱくして述べている。
ただ、ぼくの暮らしぶりはその主張の真逆をいくようなものばかりで、友人にはよく、
「お前だけは言ってはいけない」
とたしなめられる。
たしかにぼくは旅行中、いつもスマホを肌身離さず持っているし、なんなら多くの時間スマホを注視している。
東京で暮らして、世の中にあるいろんなサービスを享受して、今日もぼくは便利に生きている。
きっと生まれるのが10年早ければ、ぼくの生き方や人との関わり方も大きく変わっていただろう。
それくらい、ぼくは技術的な豊かさの中で暮らしている。
ただ、本質的にはこれらが必要不可欠であるわけではないという主張は、今も変わらない。
正直なくたって構わないのだけれど、あるのであれば使わない手はないし、使った上で批判をしたいとぼくは思っていた。
ただ、やはり新しいものが好きには違いないのである。
なんでこんなに新しいものが好きなのかと言われれば、新しいモノが今までにないコミュニケーションの形をつくるであろう予感に、興奮をおぼえるからだった。
オキュラスクエストというVRの機械は、いろいろと特徴がある、1年経った今でもかなり新しいものなのだけれど、その説明はグーグルさんにおまかせして、実際に使って感動した点を述べていきたいと思う。
一応簡単にだけ説明すると、オキュラスクエストはパソコンやスマホのいらない、完全に独立した機械であり、そのために邪魔なコードとかが必要ないため、VRヘッドセットをつけたまま踊り放題、飛び跳ね放題、走り回り放題という特徴がある。
そして従来のVRの多くは、頭を動かすと視界も同時に動くだけだったの対して、オキュラスクエストはしゃがんだり、歩き回ったりすると、VRの映像の中でもきちんとそう認識されるため、あたかもホンモノと錯覚してしまうぐらいのリアリティがあるのだ。
奥行きや高低差を認識できるから、もし寝ていてVRをつけたまま目を覚ましたら、起き上がってもきちんと視界として起き上がっている感があるから、VR空間の中にいることがわからない。
実際には画質の問題とか、頭にかぶるときの違和感とかでVRだとわからないわけはない。
なのだけれど、リアリティは存分にあって、このVRのすごさみたいなのは、ぼく自身体験してみないとわからなかった。
VRを実際に体験して、出てきた感情にぼくは戸惑いが隠せなくて、なんでなのかを考えた。
最初はあまりにも新鮮で興奮してきて、とにかくもっと知りたいと思っていろんなことをして、そのうちどっぷり浸かりすぎてしんどくなって、でもやめたくなくて続けてくうちに、VR世界内でものをとろうとして”本当は存在しない”ことに気づかず、転んでヘッドセットが頭から外れて、ぐっと現実世界に引き戻される。
何かと似てるなあ、というかほぼ同じだとか思いながら、ぼくは目を閉じた。
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