え、本当にシラフ?
ってきかれることが多かった、大学一年生のころ。
ぼくは一年間の留学を終えた後、すぐに高校を卒業して浪人生となって、一年間自宅での勉強に励んでいた。
留学中は言語の壁もあって、もちろん旧知の友だちもいなかったから、少なからず孤独を感じていた。
ニュージーランドの高校で、キウイやドイツ人、中国人などの友だちはたくさんできたけれど、やはり言語やバックグランドの違いは大きく、東京の星空みたいにうっすらと、孤独は見える。
唯一の安らげる時間は、高校の友人とひと月に一回、Skype通話を1,2時間すること。
日本に帰ってきてからも、留学先での単位がそのまま認められてすぐに卒業できたので、すぐに浪人生となった。
予備校にかけるお金はなかったし、ケチなぼくは年間の費用に見合う価値を見出せなかったので、宅浪という形をとって、朝6時半から朝9時までのスーパーの早朝バイトをやりながら、勉学に勤しんだ。
一人はつらい。
ニュージーランドでも電話をしてくれた高校の友人がちょうどよく浪人をしていたので助かったけれど、それ以外の人と会うことは皆無だった。
弱みだった日本史を中心に、日本史8:古文2くらいの割合で頑張って勉強する。
結果受かったのは、現代文+英語の試験と、英語だけの試験の二つだけで、ぼくが浪人時代に得たものは、孤独と空虚だけとなった。
留学と浪人、その二年間の孤独による反動からだったのか、大学生になったぼくはキモい方向に弾けてしまって、とにかく色んな人にテンション高く話しかけ、山から降りてきた化け物みたいに、
「ぼくの名前はようすけ! 君の名前は何? 友だちになろう!!」
と、大げさに言ってしまえばこのようなことをやっていた。
とにかく、言語が同じ人間との新しい出会いはとても新鮮で、ぼくにとってはストレスフリーだったのだ。
そうして同じ学部の男子大学生80人あまりのほぼすべてに認知されるに至ったけれど、
「え、本当にシラフ?」
と聞かれることは多かった。
絡み方が悪かったのか、それともたんに合わなかっただけか、はたまた間口を広げすぎたのか、最終的に今でも連絡を取り合っている大学の同級生はほぼいない。
あまりにも会う人を増やしすぎてしまった。
ただ、同じ学部だけでなく、所属していた文芸部にもバスケサークルにも今なお会っている友人はほぼいないのだけれど、ぼくが大学生だった時代にできた友だちや、より親密になった友人は多い。
シラフじゃないみたいなテンションで色んな人に会い続けたからこそ築けた友人関係を大事にしながら、これからも一緒にお酒をいっぱい飲んでいきたいなあと今は思う。
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