自分のことを一番わかってくれる大切な人

そんなものはいない。

 

 

錯覚である。

わかってくれた気になっているだけで、本当はこれっぽっちもわかっていない。

共感も本当はしていないし、何言っているのか理解もできていないけれど、それでも味方でいようと思う関係というのが、夫婦やカップルなのではないだろうか。

 

味方で、同じ側に立って一緒にいようと誓うこと。

世界中全員の味方にはなれないから。

一番味方でいたい人を決めて、例え何かの罪を犯したって、事実がそうと決まっていたとしたって、きっと何か理由があるのではないか、と味方の余地を探そうと努める。

それがいいことかどうかはわからないけれど。

 

でもどうせ、世界だって誰だってその人の側には立ってくれないなら、自分一人くらい、味方の立場でいることは、そう悪いことではないのかもしれない。

そうぼくは思う。

パートナーを見つけたい、というこの感情に理由を探すとするのならば、味方がほしい、というただそれだけなのかもしれない。

自分だけの味方が欲しくて、自分だけは味方でいられる人が欲しい。

そうしたらもし。

もし、お互いがお互いに、味方でいたいと思える他人が見つかったのだとしたら、パートナーなんて、夫婦やカップルという関係なんて、必要ではなくなるのではないだろうか。

それとも、もうそんな関係、パートナーと呼ぶべきなのだろうか。

 

昔は利害に基づいた結婚、政略結婚が多くて、それは二人の味方関係を広げ、家同士での味方を増やすことへと繋がっていた。

今は二人だけ。

明確な敵がいないから、家とか、国とか、主語が大きくなりづらい。

でもふんわりとした、敵でも味方でもないやつっていうのがとても増えたせいで、今の方が霞がかかっていて生きづらそうだ。

 

味方がほしいだけなんて、とても利己的である。

そしてきっと、この人の味方でいたいし、この人に味方であってほしいと、そう思えるような人と一緒にいるべきなのだろう。

ウィンウィンの味方関係を築けるような人と会い続け、お互いに利己的であれるような日々を過ごせるように生きていくほかない。

 

自分のことを一番わかってくれる大切な人

 

そんなものは存在しない。

ただ味方でいたいだけ。

それだけがいい。

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