恋愛とは何なのかという哲学を定期的に考える女性大好き24歳

こんにちは、夜更け大好きようすけです。

 

夜のどうにでもなってしまいそうな暗さに引きづられそうになる瞬間って、クセになりませんか?

わざとじぶんで落ちていく、でも明日が晴れなのを知っているから大丈夫。

 

最近読点、、、、、これ、無いことによるストレスをめっちゃ感じてます。

文の連なりのうまい分け目が定まらなくて、え、どういう意味なの、ってなっちゃいます。

3回くらい読んで、あぁ、たぶんこういう意味かぁ、と推測してますが、もやもやは消えません。

 

「恋愛ってなんだろうね」

とか

「好きがわからなくなっちゃった」

って言うやつは100%しょうもないと個人的には思ってます。

 

ぼくはよくこの質問を大人にぶつけるんですが、みなさん決まって、

「好きかどうかを考えてるうちは好きじゃないよ」

「Don’t think, feel」

と、ジェダイマスターばりに助言してくれます。

 

結婚は勢いって言いますしね。

ぼくはこれらの助言を否定したいと思います。

特に理由はありませんが、なんか納得いかないので。

 

その言葉が恋愛のハードルをあげてんだよ!

恋愛とは、論理的に考えられなくなってしまうことだったり、

頭よりも先に身体が動いてしまうものだったり、

とにかく感情が先へ先へと行くものだったりすると、大人たちは言うんです。

 

「好きかどうか考えてるうちは好きじゃない」

という言葉は、たしかにその通りかもしれません。

私この人とずっと一緒にいていいのかな、という不安から、

好きかどうかわからない…、と周りの人に漏らし、助言を求める人もいるのでしょう。

でも、だからといって、恋愛はすべからく、確信を持って好きだと言える状態を指すわけじゃないですよね?

 

考えて考えて、打算もあれば、周りの意見を気にすることもあるし、平坦な好きのままだらだらと付き合い続けて満ち足りてる場合もあるのではないでしょうか。

 

それなのに、多くの人が、恋愛のハードルをあげにかかる。

我を忘れるほどの熱い恋愛に焦がれ、ささやかでほんのわずかな好きという感情を蔑ろにしているようにぼくは思うんです。

 

わかります。

 

たしかに、きちんと好きじゃないと長続きしないし、幸福ではいられないよと言いたくなる気持ちもわかります。

本当に心から愛せる人を見つけない限り、パートナーとして一緒にい続けることは難しいでしょう。

ドラマみたいな恋。

劇的で、強烈で、今までの価値観をまるっきり変えてしまうような、そんな出会いがもしかしたらあるのかもしれません。

 

だからこそ、多くの方が、

「考えすぎるんじゃないよ。じぶんの心に従うんだよ」

とアドバイスをくれたはずなんです。

 

でも、心ってなんですか???????

好きかどうか悩んで疲れてわからなくなったら、ほんとに”好きじゃない”ってことなんですか??

 

ぼくは定期的に

“好き”

について考えて、頭をうんうん唸らせて、悩んで、吐きそうになって、泣きそうになりながら、夜の布団にくるまってます。

 

このおぞましくて、膨大で、矮小で、感情的で、合理的で、冷たくて、熱くて、むちゃくちゃな”好き”という感情に振り回されながら、ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃしてます。

 

ぼくは女の子が大好きです。

 

でも今まで、真っ直ぐに誰かを好きになって、考えずに感じていたことはないのだと思います。

いつもいつも”好き”について考えて、悩んで、離れて、また会う。

 

ぼくにとって恋愛とは、感情が動くすべてなんです。

その感情は、色んなことを踏まえた上での感情。

相手について考え、好きについて考え、嫌いについて考え、

第三者について考え、今のじぶんの環境について考える。

 

その打算的で醜いすべてを考慮して残った感情が、恋愛なのではないかと、ぼくはそう思います。

 

だから、好きかどうかわからなくたってそれは恋愛だし。

感じるよりも先にかんがえすぎちゃってもそれも恋愛。

 

誰かを愛することとか、恋するとかって、美しいものでもなければ尊いものでもなくて、ただのおっきなおっきな大きすぎてどうにもできない汚ったない感情の塊でしかない。

 

そんな感情のすべてが、ぼくは大嫌いです。

 

そんでたぶん、大好きなんだと思います。

 

以上です。

ぼくの感情にお付き合いいただきありがとうございました!

違国日記 一巻

 

 

 

 

 

 

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