女性の好きなタイプで一番無難なのは”優しい人”で、一番核心的なのは”尊敬できる人”である。
この文脈での優しい人、というのは、
「私がしてもらったら嬉しいと思うことをさりげなくスマートにやってくれて、感情的になって取り乱すことはなく、他人に対しても礼儀正しい」
という意味である。
そして、友だち止まりの男性が、本当は気になってる女性から言われる
「優しい人だね」
とは、
何も決めることのできない優柔不断で頼りなく、話のつまらない人
という意味なのだ。
尊敬できる人が好き、
尊敬できる人じゃないと無理
と言う人は多いし、言わなくてもそうみんな女性は思っていることだろう。
このとき、尊敬とは、自分よりも優れているとか、打ち負かしてくるとか、いわゆる男同士で考える尊敬とは、少し違うように思う。
男はいつだって、強い男性に憧れる。
けれど、女性の言う、異性に対する尊敬とは、強さではない。
尊敬とは、
「”私”の延長線上にある、未だ知らない私自身を見つける手助けをしてくれるような豊かさを持っている人」
のことを指すのだ。
これはつまり、”私”という人間の視野や深さを拡げ、新たな自己と出会うということを持って、尊敬と呼んでいるのである。
そして、”私”の拡張とは、今の”私”から繋がる、地続きにしかない。
肩書きや立場、持っている物に身につけている物。
そういった一部表面的なものを見て、尊敬できる人かもしれないと思って、男性と付き合うことがある。
立派な職業や会社、いい車にスマートな服。
これらをもって、尊敬できる人だと判断するのだけれど、付き合う内に、ふと気づくのだ。
「あれ、なんですごく素敵そうに見えるのに、私はときめかないのだろう」
と。
そしてそれは、尊敬=私を拡張してくれること という話に繋がってくる。
尊敬とは、一見すると周りから見てすぐわかるように感じられる。
けれど、自分自身が男性に対して尊敬する人だと本当の意味で思うのは、私、という存在の拡がりにおいて、それを手助けしてくれる場合だけなのだ。
だからこそ、男性を好きになる場合、好きになった場合、そして好きではなくなった場合。
尊敬できるところを列挙して、客観性を考慮して好きかどうかを判断する必要はない。
彼の尊敬できるところなんて言語化できるものでもないし、好きという感情は、自分を中心に据えた私だけの基準のものなのだから、誰かに理解してもらうときは永遠にこない。
もっと感覚的でいいし、きっと好きではないと思ってしまったのなら、好きではないのだ。
同じように、どうしてもやはり好きだと思うのなら、好きなのだろう。
誰でもなく、彼だから私を拡張してくれる、新しい自分を見つけてくれるのだと、そう思って、また悩みながら生きていくしかない。
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