こんばんは、価値のあるモノは何一つ持っていないけれど、大事にしたい友だちはたくさんいるようすけです。
今回は
丁寧な暮らし
とか
豊かな暮らし
とか言われるような、そんな生活っていったいどんな? というのをお話していきたいと思います。
なんか日々荒れてるな〜って思う方や、じぶんって本当に心豊かな暮らしできてるのかな? って思う方はぜひ読んでみてください。
ミニマリストとかいるし、断捨離とかあるけれど
家に何が置いてあるのかわからなくて、ごちゃごちゃしてて、整理されてなくて、って明らかに豊かではなさそうですよね。
もっと丁寧に、って考えたとき、モノを捨てることだったり、極限までシンプルにしてしまったりすることが、一つの正解としての共通認識ではないでしょうか。
何かを捨てること、何かを諦めることにフォーカスを当てられることが多いはずです。
でもそれって、はたして正しいのでしょうか?
たしかに、絶対の正しさなんてものは存在しないので議論するだけ無駄だし、それぞれの正しさがあってよいと思うのですが、よく言われている
“持たない暮らし”
って、ぼくにとってはなんだかすごく違和感があるんですよね。
そういうぼくも、何かを所有することは好きじゃないんですが。
だって、所有してしまったら、愛着が湧いてしまって、しまいには執着をしてでも失って、めちゃめちゃ悲しくなってしまうかもしれないじゃないですか。
出会いがあれば別れもある。
だったら最初から出会わなければよかったって、思ってしまいます。
だから、モノは最低限にしています。
いや、ごちゃごちゃとたくさん持ってはいるんですけれど。
いつでもどこでも、慣れてしまわないように、他のモノで代替できるように、じぶん自身を訓練してるつもりです。
だからお気に入りの服も、時計も、タオルも、インテリアも、化粧水も、美容室も、スマホも、車も、家も、パソコンもつくらないようにしています。
何でも着られるように、何でも飾れるように、何でもつけられるように、どこでもいけるように、iPhoneでもandroidでも使えるように、毎回違う車を乗って慣れないように、クラウドに保存してどんなパソコンからでもアクセスできるようにしているんです。
ひたすらに怖いです。
所有することが。
モノを持つということが、おそろしい。
そんな誰よりも”持たない”ようにしているぼくが、いやいっそすべてのモノを持とうとしているようにも見えるぼくが、なんで豊かな暮らしとは”モノを持ち続ける暮らし”であると主張しているのかというと、その理由は一つです。
モノを少なくするということは、ミニマリストや断捨離の意味とは、なくすことや捨てることではなく、持ち続けるモノを決めるということだからです。
要らないモノを決めているのではなく、要るモノを確定させている。
これからもずっと一緒にいたいモノを決めている。
一つ、二つとじぶんの暮らしに不可欠なモノを決めて、ともに生きることを決意する。
モノを持ち続けるのは、生半可な覚悟ではできません。
選んだモノは拡大し、じぶんの生活に侵食してきます。
部屋のあいたスペースに、あいた分以上の意味が拡がって、重みを持つんです。
だからミニマリストは、世界で一番モノを持っている人とも言えるでしょう。
なんでモノを一つ、二つと持ち続けることを選ぶことが心豊かな暮らしに繋がるかというと、モノが拡大して、世界がもっとよく見えるようになるからです。
じぶんにとって意味のあるモノが何かわかって、自身の部屋以外のところでも、いろんなモノが浮かび上がって、何気ないことが意味を持ち出すんです。
ぼくは今のところ、何も持てていません。
モノを選ぶことが、意味を持たせることが、ぼくにとっては重荷すぎて、豊かさの中にはいられないんです。
いつか、何かを持てるような人間になりたい。
持ち続けるモノを確定させて、豊かさを享受したい。
もし今、どうしても捨てられないモノや欲しいもの、執着してしまっているモノがあるなら、それらとそれら以外の違いを考えてみてください。
もしそれがわかったのなら、もう簡単です。
持つことを選べたあなたはすでに、豊かさの意味と答えを知っているはずです。
以上、心豊かな暮らしとは、モノを持ち続ける暮らし
でした。
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